江戸時代は、お灸が庶民の暮らしに広く浸透した時代でした。
家庭で行う養生法としてだけでなく、お寺や温泉地でもお灸が親しまれ、夏には土用灸やほうろく灸など、季節の風習にも取り入れられていました。
さらに、子どもの養生にもお灸が用いられるなど、お灸は人々の生活に深く根付いていました。
今回は、寺社や湯治場でのお灸を中心に、江戸時代ならではのお灸文化をご紹介します。
目次
・【1】お寺でお灸を受けるという文化
・【2】温泉とお灸 ― 湯治文化との深い関係
・【3】当時のお灸は「有痕灸」が当たり前
・【4】子どもにもお灸は身近な養生法だった
・【5】お灸がもっとも身近だった時代
【1】お寺でお灸を受けるという文化
江戸時代は、現在のように病院や診療所が身近にある時代ではありません。
そのため、人々は薬だけに頼るのではなく、お灸や漢方、食養生など、さまざまな方法で身体を整えていました。
お寺も、そのような養生に触れる場所の一つでした。
参拝に訪れた人がお灸を受け、身体を整えて帰る。
今の感覚では少し不思議に思えますが、当時の人々にとっては、ごく自然な暮らしの一場面だったのでしょう。
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<1-1> 弘法灸や薬師如来とお灸
現在でも各地には「弘法灸」と呼ばれる風習が残る寺院があります。
弘法大師(空海)は病に苦しむ人々を救ったという伝承が各地に伝わり、そのゆかりの寺院では、お灸を受ける習慣が続いてきました。これは江戸時代に限らず、地域によって形を変えながら受け継がれてきたものです。
例えば、京都の弘法大師ゆかりの寺院や、四国遍路の札所などでは、弘法灸の名で親しまれる施灸行事が現在まで伝えられている地域もあります。
また、薬師如来を祀る寺院も、古くから病気平癒を願う人々が訪れる場所として知られています。
こうした寺院では、参拝だけでなく、お灸を養生の一つとして受けることもありました。
寺社でお灸を受ける文化は、「病気になってから治す」というより、「身体を整えながら暮らす」という当時の養生観を表しているのかもしれません。
<1-2> 夏を元気に過ごすための土用灸とほうろく灸
江戸時代のお灸は、病気のためだけではありません。
夏の土用には「土用灸」が行われ、暑さに負けない身体づくりを願いました。
土用灸は、今でいう夏バテ予防のような養生法で、寺院で施灸を行う地域もあれば、家庭で行う地域もあり、土地によって形が異なります。
なかでも特徴的なのが「ほうろく灸」です。
素焼きの焙烙(ほうろく)を頭にのせ、その上でもぐさを燃やすという独特のお灸で、京都などでは現在も夏の行事として受け継がれています。
暑気払いを願うこの風習を見ると、お灸が季節の行事としても暮らしに根付いていたことがよく分かります。
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【2】温泉とお灸 ― 湯治文化との深い関係
江戸時代には湯治も盛んでした。
湯に浸かり、お灸を据え、身体を休める。
現在なら温泉旅行ですが、当時の湯治は数週間から数か月滞在することも珍しくありませんでした。
「そんな長い滞在ができるのは一部の人だけでは?」と思われるかもしれませんが、農閑期を利用して湯治に出かける農民や職人もおり、庶民にとっても決して縁遠いものではありませんでした。もちろん気軽な旅行ではありませんが、病を癒やし、身体を立て直すための大切な時間だったのです。
温泉だけでは改善しにくい不調には、お灸を組み合わせる人もおり、まさに「総合的な養生」が行われていました。ただし、すべての湯治場でお灸が行われていたわけではなく、地域や湯治場によって違いがあります。
湯治場でも、お灸は人々の健康を支える大切な役割を担っていたのです。
コラム| お灸を専門に据える『施灸所』
江戸時代の終わり頃から明治時代にかけては、お灸を専門に据える「施灸所(せきゅうじょ)」も各地に見られるようになります。
現在の鍼灸院のような役割を担い、人々は肩こりや腰痛だけでなく、慢性的な体調不良や体力づくりのためにも通いました。
家庭だけでなく、お寺、施灸所など、お灸を受ける場所が身近にあったことからも、お灸が暮らしに深く根付いていたことがうかがえます。
【3】当時のお灸は「有痕灸」が当たり前
寺社や湯治場で行われていたお灸の多くは、現在のような台座灸ではありません。
米粒ほどの艾(もぐさ)を皮膚に直接据える「直接灸(有痕灸)」が一般的でした。
熱さを感じるだけでなく、小さなやけどとなり、かさぶたができ、灸痕が残ります。
現代では「跡が残るのは困る」と思われるかもしれませんが、江戸時代には直接灸が広く行われていたため、灸痕のある人は決して珍しくありませんでした。
ただし、医家の間では熱を感じたら取り除く「知熱灸(無痕灸)」も用いられており、すべてが有痕灸だったわけではありません。
また、症状や目的によっては、一つのツボに三十壮、五十壮、時には百壮近く据えることもあったと伝えられています。
肩や腰だけでなく、旅人が足三里へお灸を据えたように、灸痕は健康を維持するためにお灸を続けてきた証でもありました。
【4】子どもにもお灸は身近な養生法だった
お灸は、大人だけでなく子どもの健康を願う養生法としても親しまれていました。
夜泣きや「疳の虫(かんのむし)」、風邪をひきやすい子どもの体調を整えるために用いられ、「丈夫に育ってほしい」という家族の願いが込められていたといわれています。
こうした子どもの養生文化の名残は、現在も関西地方に見ることができます。
大阪や京都では小児鍼が身近な存在で、「子どもの頃に小児鍼へ通った」という人も少なくありません。一方、関東では小児鍼になじみのない人も多く、地域差があることでも知られています。
その理由の一つとして、明治時代以降の医療の歩みが挙げられます。東京では西洋医学の普及が比較的早く進みましたが、京都や大阪などの上方では、漢方や鍼灸の文化が暮らしの中に色濃く残りました。
さらに大阪では、皮膚を軽くなでたり触れたりして刺激を与える「接触鍼」が近代以降に発達し、全国的にも知られる地域となりました。
子どもの健康を願うという考え方は、江戸時代のお灸文化から現代の小児鍼へと形を変えながら受け継がれているのです。
【5】お灸がもっとも身近だった時代
江戸時代のお灸を振り返ると、家庭だけでなく、お寺や温泉地でも親しまれ、夏には土用灸が行われるなど、暮らしのさまざまな場面で活用されていたことが分かります。
また、子どもの養生にも取り入れられ、その考え方は現在の小児鍼にも受け継がれています。
お灸は、病気になってから行う特別な治療ではなく、毎日を健やかに過ごすための養生法として、人々の生活に深く根付いていました。
江戸時代のお灸文化を知ることで、現代にも受け継がれる「身体を整える知恵」の原点が見えてくるのではないでしょうか?
