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柿の魅力を徹底解剖!干し柿・柿渋・柿染め・柿の葉寿司・生薬・木材の世界

暮らしとウェルネス

秋を代表する果物の一つである柿。日本では生で食べるだけでなく、干し柿や柿の葉寿司など、さまざまな形で親しまれてきました。

しかし、柿の魅力は果実だけではありません。渋柿から作られる柿渋は、防水や染色の材料として利用され、葉は茶や食品に、木材は工芸品や家具に活用されてきました。

実・葉・木・渋まで無駄なく使われてきた柿は、人々の暮らしと深く結び付いてきた植物でもあります。

この記事では、柿という植物の特徴から、その食文化、柿渋の利用、伝統工芸との関わりまで、柿がどのように活用されてきたのかを見ていきましょう。

目次

・【1】柿について
・【2】柿を食べる
・【3】柿渋とは?
・【4】柿染め
・【5】柿の葉
・【6】柿は薬にもなる―中国の生薬利用
・【7】柿の木そのものも利用する
・【8】まとめ

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【1】柿について

柿は、カキノキ科カキノキ属に分類される落葉性の果樹です。学名は「Diospyros kaki Thunb.(カキノキ)」で、英語では一般に「Japanese persimmon」または単に「persimmon」と呼ばれます。

属名である「Diospyros」はギリシャ語に由来し、「神々の食べ物」という意味を持ちます。カキノキ属には、黒檀(エボニー)として知られる樹木も含まれています。

カキノキは比較的寿命が長く、春から初夏に花を咲かせ、秋になると橙色の果実を実らせます。

日本では古くから栽培されており、大きく甘柿と渋柿に分けられます。甘柿は成熟すると渋みを感じにくくなり、そのまま食べられます。一方、渋柿は渋みが残るため、渋抜きや干し柿などの加工を経て食用にされてきました。

そして、この「渋みのある柿をどう活用するか」という知恵が、食用以外のさまざまな利用にもつながっていきます。

🔽【動画】柿の花

<1-1>柿はどこから来た植物?

現在世界で栽培されているカキノキは、東アジアを原産とする植物と考えられています。中国を中心に古くから栽培・利用され、日本や朝鮮半島などにも広がっていきました。

日本では長い栽培の歴史の中で多くの品種が生まれ、現在も富有、次郎、平核無、刀根早生など、さまざまな品種が栽培されています。

<1-2>柿はどの国で生産されている?

現在では、中国、日本、韓国のほか、スペイン、ブラジル、イタリア、トルコなどでも商業的に栽培されています。中国は世界最大の柿生産国であり、スペインもヨーロッパ有数の産地として知られています。特にバレンシア州のリベラ・アルタ(Ribera Alta)は重要な産地の一つです。

ブラジルでは、日本人移民の歴史とともに柿栽培が広がりました。

一方、オランダは主要な柿生産国ではありません。しかし、日本の柿とオランダには植物学史上の興味深い接点があります。

江戸時代の長崎・出島には、オランダ東インド会社を通じて多くのヨーロッパ人が訪れていました。その一人が、スウェーデンの植物学者・医師カール・ペーテル・ツュンベリーです。彼は同社の船で来日し、日本の植物を調査しました。

現在の学名「Diospyros kaki Thunb.」の「Thunb.」は、ツュンベリーの名前に由来しています。

このように柿は東アジアで長く栽培されてきた植物であると同時に、江戸時代の日欧交流を通じてヨーロッパの植物学にも記録された植物なのです。

🔽【動画】柿栽培農家:どうすれば良い柿を作れるのか?

【2】柿を食べる

柿のもっとも基本的な利用は、もちろん果実を食べることです。日本では生の柿をそのまま食べるほか、渋柿を加工して食べる方法も発達してきました。

🔽【動画】柿の実

<2-1>甘柿と渋柿

甘柿は、成熟に伴って渋みを感じにくくなり、生食に適した品種です。代表的な品種には富有柿、次郎柿、御所柿などがあります。

一方、渋柿は成熟後も渋みが残る品種です。代表的なものとして、平核無(ひらたねなし)、刀根早生(とねわせ)、西条柿、市田柿などが知られています。

ただし、「甘柿=まったく渋みがない柿」「渋柿=常に渋い柿」と単純に分けられるものではありません。

柿の渋みには果実中の可溶性タンニンが関係しています。このタンニンが唾液と反応することで、口の中に収れん感が生じます。これがいわゆる柿の渋みです。

甘柿では成熟の過程でタンニンが不溶化し、渋みを感じにくくなります。一方、渋柿では可溶性タンニンが多く残るため、成熟後も渋みを感じます。

<2-2>柿はどうやって渋みを抜く?

渋柿は古くからさまざまな方法で渋抜きされてきました。

代表的なのがアルコールによる渋抜きです。果実を密閉状態でアルコールにさらすと、果実内部で生成されるアセトアルデヒドなどの作用によって可溶性タンニンが不溶化し、渋みを感じにくくなります。

このほかにも、二酸化炭素を利用する方法や温度管理による方法などがあります。

このように渋柿は、単に「渋くて食べられない果実」ではなく、加工によっておいしく食べられるようになる果実なのです。

そして、渋抜きとは別に、古くから受け継がれてきた代表的な加工法が乾燥です。

<2-3>干し柿

渋柿の代表的な加工品として知られるのが干し柿です。

渋柿の皮をむき、風通しの良い場所で乾燥させることで、果実中の水分が減り保存性が高まります。冷蔵設備のなかった時代には、収穫した果実を長期間保存するための重要な知恵でもありました。

乾燥が進むと果肉は柔らかくなり、甘みが凝縮されます。また、表面に白い粉が現れることがあります。これは主に果実内部の糖分が表面に移動し、結晶化したものです。

日本では地域ごとにさまざまな干し柿が作られており、たとえば、長野県の市田柿、福島県のあんぽ柿、山梨県などで知られる枯露柿(ころがき)など、製法や仕上がりの異なるものが現在にも受け継がれています。

🔽【動画】干し柿を作ろう!

<2-4>雪国が生んだ「雪し柿」

干し柿のなかでも、寒冷な気候を生かして作られる特別な加工品に「雪し柿(ゆきしがき)」があります。

雪し柿は、初冬の冷気や降雪を利用して作られる伝統的な柿の保存食です。一般的な干し柿が秋の乾燥した風を利用して仕上げられるのに対し、雪し柿は厳しい寒さの中でじっくり熟成させることで、まろやかな甘みと柔らかな食感を引き出します。

主に東北地方や北陸地方などの豪雪地帯で作られており、古くから冬の保存食や貴重な甘味として受け継がれてきました。

砂糖がまだ高級品だった時代、雪国の人々は秋に収穫した渋柿を冬の寒さを利用して加工し、厳しい冬を乗り切るためのエネルギー源として活用していました。寒冷な環境の中で渋みが和らぎ、水分がゆっくりと抜けることで糖分が凝縮される現象を生かしたもので、雪国の気候と人々の知恵が生み出した伝統食といえるでしょう。

1)製作工程

雪し柿づくりは、冬の寒さが本格化する時期に行われます。

まず、収穫した渋柿の皮をむき、初冬の冷たい風にさらして表面を乾燥させます。その後、天日干しを続けながら寒波や雪にさらし、氷点下近くの冷気の中でゆっくりと熟成させます。

この過程で果実の水分が少しずつ抜け、果糖やブドウ糖が凝縮されていきます。また、途中で何度も手もみを行うことで果肉を均一にやわらかくし、内部の水分や糖分の偏りを整えます。

乾燥が進むと表面には糖分の結晶である白い粉が現れます。これは干し柿の章でも紹介した「柿霜」で、雪し柿ではその姿がより際立ち、まるで新雪をまとったような美しい外観に仕上がります。

🔽【動画】雪し柿(ゆきしがき)

<2-5>中国:柿の食文化

中国では干し柿を「柿餅(shìbǐng)」と呼び、地域によってさまざまな形で作られています。

🔽【動画】柿餅の作り方

また、地域ごとに柿を菓子へ加工する食文化があります。 とくに西安の東に位置する臨潼区(临潼区)は、特産の「火晶柿子(huǒjīng shìzi)」の産地として知られています。「火晶」という名は、熟した果実が火のように赤く、透き通るように見えることに由来します。

この火晶柿子を使った柿子饼(柿子餅)は、臨潼から西安一帯で親しまれてきた郷土菓子です。柿の果肉を生地に練り込み、焼き菓子・餅菓子として仕上げるもので、西安の伝統的な小吃(軽食・郷土菓子)の代表として広く知られています。

🔽【動画】柿子饼(柿子餅)

<2-6>韓国:柿の食文化

韓国では干し柿を「곶감(コッカム)」と呼び、冬の伝統食品として親しまれています。

また、完熟して柔らかくなった柿は「홍시(ホンシ)」や「연시(ヨンシ)」と呼ばれ、そのまま食べるほか、料理や飲み物にも使われます。

さらに、柿を発酵させて作る「柿酢(감식초)」も伝統的に利用されています。

🔽【動画】自然発酵の柿酢作りの全工程

シナモンやショウガとともに干し柿を用いた伝統飲料「수정과(スジョングァ)」もよく知られています。

🔽【動画】「수정과(スジョングァ)」

【3】柿渋とは?

柿渋は、まだ熟していない青い渋柿を原料として作られる液体で、柿に含まれるタンニンなどを利用したものです。

収穫した渋柿を細かく砕いて果汁を搾り出し、それを発酵・熟成させて作られます。昔ながらの製法では、「柿搗(かきつき)」と呼ばれる作業で実をつぶし、搾った果汁を甕(かめ)などで熟成させました。

現在では製造技術も改良されていますが、その基本は渋柿のタンニンを抽出し、発酵・熟成させて活用する点にあります。

🔽【動画】柿渋(かきしぶ)をつくる

<3-1>柿渋は何に使われてきた?

柿渋は、古くから暮らしのさまざまな場面で活用されてきました。

特によく知られているのが、木や紙などの表面に塗る用途です。柿渋にはタンニンが多く含まれており、素材に塗ることで強度を高めたり、水や傷みに対する耐久性を向上させたりする効果が期待されてきました。

日本では、和紙に柿渋を染み込ませて作る「渋紙」が広く用いられました。渋紙は丈夫で長持ちすることから、傘や袋、衣類、生活道具などの材料として利用されてきました。

また、地域によっては木桶や建具などの木製品、漁網などの道具にも柿渋が用いられていました。

<3-2>柿渋と傘―中国の油紙傘、日本の和傘

中国には古くから油紙傘の文化があり、紙に桐油などの植物油を塗って防水性を持たせていました。この傘文化は日本にも伝わり、江戸時代には和傘が庶民の暮らしの中に広く普及していきます。

和傘も基本的には油によって雨を防ぎますが、柿渋は和紙そのものを丈夫にするための素材として利用されました。柿渋を施した和紙は破れにくくなり、傘の耐久性を高めることにも役立ちました。

江戸時代には番傘や蛇の目傘などが発達し、明治時代にかけて和傘は日常的な雨具として親しまれました。しかし、洋傘の普及に伴い、日常生活で使われる機会は次第に減っていきます。

現在では実用品としてよりも、伝統工芸品や舞踊・茶道などの文化用品、観光地の土産物としてその姿を残しています。

コラム|伊勢形紙(いせかたがみ)

伊勢形紙は、三重県鈴鹿市の白子・寺家地域を中心に受け継がれてきた、着物などの模様を染めるための型紙です。

型紙には、和紙を何枚も貼り合わせて柿渋を染み込ませた渋紙が使われます。柿渋によって紙が補強されるため、細かな加工に耐えられる丈夫な型紙になります。

この渋紙は、精密な模様を彫っても破れにくく、繰り返し使えることが大きな特徴です。職人は渋紙に模様を彫り、それを布の上に置いて染料を刷り込むことで、同じ文様を何度も染めることができます。

こうした技法は江戸時代以降、江戸小紋や浴衣、友禅などの染色に広く用いられてきました。

🔽【動画】伊勢形紙

【4】柿染め

柿渋は、紙や木を保護するためだけでなく、染料としても利用されてきました。

柿渋染めでは、主に青い渋柿から作られた柿渋を用います。布などに柿渋を含ませて乾燥させる工程を繰り返すことで、淡い茶褐色から赤みを帯びた褐色まで、落ち着いた色合いに染め上がります。

鮮やかな発色を得るための染色というよりも、自然な色合いや独特の風合いを楽しむための染色として親しまれてきました。また、時間の経過や日光によって色合いが変化することも特徴の一つです。

なお、昔の柿渋利用では「染める」と「塗る」の境界が必ずしも明確ではありませんでした。布を染めるだけでなく、和紙や木製品に塗って色合いを加えることも行われていたためです。

現在でも、その素朴で温かみのある色調を生かして、衣類やバッグ、インテリア用品などの染色や仕上げに活用されています。

【5】柿の葉

柿は果実だけでなく、葉も利用できる植物です。料理を包んだり、お茶にしたりと、暮らしの中で利用されてきました。日本で特に有名なのが、柿の葉で食材を包む柿の葉寿司です。

<5-1>柿の葉寿司

柿の葉寿司は、酢飯の上に塩漬けした魚をのせ、柿の葉で包んで押し固めて作る寿司です。

現在では奈良県を代表する郷土料理として知られていますが、とりわけ吉野地方や五條市周辺で長く受け継がれてきました。

柿の葉寿司に使われる魚として特に有名なのがサバです。

海から遠い奈良県では、かつて若狭湾などから運ばれる塩サバが貴重な海産物でした。塩サバを酢飯と合わせ、柿の葉で包んで押し固めることで保存性を高めていたのです。

柿の葉寿司の成立時期には諸説ありますが、江戸時代にはすでに吉野地方などで作られていたとされています。

🔽【動画】奈良:柿の葉寿司

<5-2>柿葉茶

また、柿の葉は乾燥させてお茶として飲む「柿葉茶」にも利用されます。

日本だけでなく、中国などでも柿の葉を飲用に利用する例がありますが、緑茶のように広く日常的に飲まれる代表的な茶という位置づけではなく、地域的・民間的な利用として見るのがよいでしょう。

柿の葉には、ビタミンCやポリフェノール類などが含まれています。

🔽【動画】自家製:柿の葉茶

コラム|柿の葉を使った軟膏

柿の葉を使った軟膏「柿叶祛斑膏(柿の葉の祛斑クリーム)」は、中国で古くから伝わる民間療法です。中国では、柿の葉には肌の炎症を落ち着かせる働きがあるという認識があり、抗炎症や肌を整える目的で利用されてきました。こうした背景から、柿の葉を使ったクリームが「祛斑(シミを薄くする)に役立つ」と紹介されることがあります。ただし、祛斑効果については医学的な根拠が十分に確立されているわけではなく、あくまで民間療法として伝えられてきた使い方です。

🔽【動画】柿の葉を使った軟膏

【6】柿は薬にもなる―中国の生薬利用

柿は中国では漢代以前から栽培されており、中国の伝統医学では果実だけでなく、へたや加工品も薬用素材として利用されてきました。

柿は黄河流域を中心とした北方から中部の気候に適した植物で、古くは陝西省(西安周辺)、河南省、山東省、山西省などが代表的な産地でした。これらの地域は、柿蒂(してい)や柿霜(しそう)といった生薬の良質な産地としても知られ、「地道薬材(ブランド生薬)」の供給地とされてきました。

その後、中医学(漢方医学)の理論体系が全国へ広まるにつれて、柿を用いた生薬も中国各地で利用されるようになります。現在でも、中医院(漢方病院)や薬局で扱われる身近な生薬の一つです。

<6-1>柿のへたが生薬になる「柿蒂」

柿のへたは乾燥させて「柿蒂(してい)」という生薬になります。

「蒂(てい)」とは、果実と枝をつなぐ「へた」を意味する言葉です。

中国の伝統医学では、柿蒂は主にしゃっくり(吃逆)に用いられる生薬として知られています。中医学では、胃の気が上に逆流する「胃気上逆」がしゃっくりの原因の一つと考えられ、柿蒂にはそれを鎮める働きがあるとされてきました。

宋代から元代を経て明代にかけて、その利用法は次第に整理されていきます。明代の医学者・張介賓の『景岳全書』や、李時珍の『本草綱目』(1596年)には、「柿蒂は胃気上逆によるしゃっくりを治す」と記されており、「丁香柿蒂湯(ちょうこうしていとう)」などの処方とともに広く知られるようになりました。

🔽【動画】柿蒂の効能

コラム|皇帝のしゃっくりを治した7枚のへた

柿蒂にまつわる有名な民間伝承として、明の初代皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)、あるいは清の乾隆帝(けんりゅうてい)を主人公とする逸話があります。

ある日、皇帝は重要な政務の最中に激しいしゃっくりに襲われました。何日も症状が続き、水も食事も十分に摂れなくなったため、宮廷の御医たちは人参や鹿茸など高価な生薬を用いて治療を試みましたが、効果はありませんでした。

すると、民間出身の医師が進み出てこう言ったと伝えられています。

「陛下、高価な薬は必要ございません。柿のへたを七枚集めて煎じ、その汁をお飲みください。」

皇帝が半信半疑で飲んだところ、長く続いていたしゃっくりがたちまち治まったため、大いに喜び、柿のへたの効能を称賛したといいます。

史実として確認されている話ではありませんが、柿蒂がしゃっくりの薬として広く知られていたことを物語る民間説話として語り継がれています。

コラム|なぜ「7枚」なのか?

皇帝のしゃっくりを治したという逸話では、「柿のへたを7枚煎じて飲む」とされています。

では、なぜ7枚だったのでしょうか?

正確な理由は古典に明記されていません。しかし、中国の伝統思想や中医学の考え方から、いくつかの解釈が語られています。

1)東洋医学では「7」が特別な数字だった

中国最古の医学書とされる『黄帝内経・素問』には、人の成長や老化には一定の周期があると記されています。

女性は7年ごとに身体が変化し、

  • 7歳で歯が生え変わる
  • 14歳で初潮を迎える
  • 28歳で身体機能の充実期を迎える
  • 49歳で閉経する

と考えられていました。

一方、男性は8年ごとに変化し、

  • 8歳で歯が生え変わる
  • 16歳で生殖能力が備わる
  • 32歳で身体の充実期を迎える
  • 64歳で老化が進む

とされています。

このため中医学では、「7」は成長や変化、生命のリズムを象徴する数字として重視されてきました。

2)縁起の良い数字として選ばれた可能性

中国では古くから、薬の分量や材料の数に象徴的な意味を持たせることがありました。

そのため、「柿蒂7枚」という表現にも、生命のリズムを象徴する数字である「7」を用いることで、薬効への期待や覚えやすさを持たせた可能性が考えられます。

ただし、柿蒂と「7年周期」を直接結び付ける説明が古典に明確に書かれているわけではなく、後世の解釈として語られることが多いようです。

3)実際の薬用量とも一致していた

もう一つの理由として考えられるのが、実用的な分量です。

現代の中薬学では、柿蒂の一般的な使用量は1日あたり5〜10g程度とされています。

乾燥した柿のへたは1個あたりおよそ1g前後であるため、7枚を用いるとちょうど標準的な使用量に近くなります。

つまり、「7枚」という数は象徴的な意味だけでなく、実際の薬効を得るうえでも扱いやすい分量だったのかもしれません。

数字に込められた医学と文化

現在の科学では、「7枚だから特別に効く」と証明されているわけではありません。しかし、古代の医師たちは、経験的に得られた薬の適量と、当時の世界観や数字の象徴性を結び付けながら処方を作り上げていきました。「柿蒂7枚」という表現には、薬としての実用性だけでなく、中国伝統医学の文化的な背景も反映されているのです。

<6-2>柿霜―干し柿から生まれる薬用素材

もう一つ興味深い生薬が「柿霜(しそう)」です。

柿霜とは、干し柿の表面に現れる白い粉を集めたものを指します。前章でも紹介したように、この白い粉は主にブドウ糖や果糖などが結晶化したものです。

中国では宋代ごろから、この白い粉に薬としての価値があると考えられるようになりました。『本草図経』や、明代の『本草綱目』には、柿霜が「清熱(熱をさます)」「潤肺(肺を潤す)」「止咳(咳を止める)」に優れた生薬として記載されています。

伝統的には、喉の乾燥や痛み、咳、口や喉の渇きなどに用いられ、そのまま口に含んだり、湯に溶かしたりして利用されてきました。

1)清代―宮廷で愛された柿霜

柿霜が特に珍重されたのは清代です。

紫禁城の宮廷では、秋から冬にかけての乾燥対策や喉のケアを目的として利用されるようになり、健康菓子や薬膳の材料として人気を集めました。

乾隆帝や慈禧太后(西太后)は、柿霜を使った飴菓子である「柿霜糖(しそうとう)」や、柿霜を練り込んだ糕点(点心)を好んだとされます。これらは、口内炎や声のかすれ、喉の不調を和らげる食べ物として宮廷内でも親しまれていました。

2)現代の柿霜

現在でも「柿霜(柿霜餅)」は中医学で用いられており、口内炎、喉の腫れや痛み、喉の乾燥などに用いられる生薬として扱われています。甘みがあり刺激も少ないため、子ども向けの製剤や塗布薬に利用されることもあります。

また、陝西省富平県をはじめとする柿の名産地では、現在でも純粋な柿霜を固めた「柿霜糖」が販売されています。生薬としてだけでなく、「天然の喉飴」や伝統銘菓としても親しまれています。

▼【動画】柿霜糖の製作工程

【7】柿の木そのものも利用する

柿は、果実や葉だけでなく、木材もさまざまな用途に活用されてきました。

カキノキ材は硬く緻密で、家具や器、工芸品などに用いられてきました。

日本では特に、木の内部に黒い模様が現れる黒柿が珍重されています。黒柿は樹齢100年以上の古木などに偶然現れる黒い縞や斑紋を持つ木材で、その模様は一本ごとに異なります。

希少性が高く、茶道具や家具、工芸品の材料として高く評価されてきました。

🔽【動画】島根・出雲|黒柿の木工

<7-1>北米原産|アメリカガキ

一方、世界に目を向けると、北米原産の「アメリカガキ(Diospyros virginiana)」も木材として活用されてきました。

アメリカガキはカキノキの仲間で、その木材は非常に硬く緻密であることが特徴です。そのため、強度や耐摩耗性が求められる用途に適しており、かつてはゴルフクラブのヘッド、ビリヤードのキュー、工具の柄、シャトルコックなどに用いられていました。

なかでも有名なのがゴルフクラブです。20世紀前半頃まで、ドライバーなどのウッドクラブのヘッドにはアメリカガキ材が広く使われていました。硬く衝撃に強いうえ、加工後の仕上がりにも優れていたためです。

このため、現在でもクラシックな木製ゴルフクラブを指して persimmon wood clubs と呼ぶことがあります。

🔽【動画】北米原産のアメリカガキ

まとめ

柿は、食べる楽しみだけでなく、加工や染色、生活道具づくり、薬用利用など、さまざまな場面で人々の暮らしに寄り添ってきました。 地域ごとに異なる食文化や工芸の技法が受け継がれ、歴史の中で多彩な知恵が育まれてきたことが分かります。

身近な果物として親しまれてきた植物が、これほど多面的な役割を担ってきたことを知ると、柿に対する見方が少し広がるかもしれません。 これからも、地域の伝統や生活文化とともに、柿の魅力は受け継がれていくはずです。

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