菊は、世界の多くの地域で秋を象徴する花として親しまれ、追悼や供花にも広く用いられてきました。一方で、東アジアでは長寿や吉祥のイメージが古くから共有され、文学・儀礼・薬用など多方面で特別な意味を持つ植物として扱われています。
日本では、こうした東アジアの菊文化を受け継ぎながら、園芸・宮廷文化・皇室の象徴など独自の発展を遂げました。本特集では、日本の菊文化を中心に、中国の中薬としての菊花、そして世界へ広がった菊の多様な姿をたどります。
目次
・【1】日本の菊文化
・【2】中国の中薬「菊花」
・【3】世界への広がり
・【4】まとめ
【1】日本の菊文化
菊はキク科の植物で、日本で栽培されている園芸菊には、中国などを起源とするさまざまな系統が含まれています。
人々が長い年月をかけて選抜や交配を行い、さまざまな品種を生み出してきた結果、
菊は、黄色、白、赤、紫など、花色も豊富で、
一重咲き、八重咲き、管状の花弁を持つもの、大輪のもの、小輪のものなど、花の形も実に多様です。
そして以下のように、様々な形で愛用されています。
菊の主な利用
- 観賞……庭園、菊花展、盆栽菊、切り花
- 園芸……品種改良、仕立て、栽培
- 食用……食用菊、菊花料理
- 飲用……菊酒、菊花茶
- 薬用……菊花を利用した伝統的な薬用
- 儀礼……重陽の節句、長寿を願う文化
- 皇室文化……菊花紋章
- 文学・芸術……和歌、俳句、中国詩、絵画
- 娯楽……菊人形、菊花展
まさに、万能植物と呼ぶにふさわしい多面性を持った植物と言えるでしょう。
<1-1> 重陽の節句と「菊酒」
菊は、中国で発達した栽培菊が日本へ伝わり、宮廷を中心に観賞されるようになったと考えられています。
平安時代になると、菊は宮廷文化の中で重要な花となっていきました。
特に有名なのが、旧暦9月9日に行われた重陽の節句です。
重陽は「九」という陽数が重なることから名付けられた節句で、菊を用いた行事が行われました。
菊は長寿や邪気払いと結びつけられ、菊酒を飲んだり、菊を観賞したりする文化が生まれます。
菊酒とは、菊を浮かべたり、菊を利用した酒のこと。
これは中国の菊文化とも深くつながっています。
菊が秋に咲く花であることも、重陽の節句との結びつきを強めました。
◎コラム|現代にも残る「菊酒」
菊酒は、現代ではすっかり珍しい存在になりましたが、現在でも、重陽の節句に合わせた神社や寺院の行事、伝統文化の催しなどで、菊酒が振る舞われることがあります。
なぜ菊酒が日常から姿を消してしまったのでしょうか?
その理由の一つは、菊酒と深く結びついていた「重陽の節句」そのものが、現代の暮らしの中であまり行われなくなったことです。
さらに旧暦から新暦への移行によって、重陽の節句と菊が咲く季節との結びつきも弱くなりました。
そして現代の日本では、菊が仏壇や墓参りなどに使われる「仏花」として広く知られるようになったことも、菊酒のような食文化が身近でなくなった背景の一つと考えられます。
<1-2> 江戸から明治の「菊ブーム」
江戸時代になると、菊は単なる観賞植物ではなく、町人文化を熱狂させる“園芸娯楽”の中心になりました。 秋になると江戸の各地で菊花展が開かれ、珍しい品種や巨大輪の菊を見ようと人々が押し寄せたことが、当時の記録に残っています。園芸書には、花の形や色を競い合うために、町人が一年を通して丹精込めて育てた様子が細かく記されています。
1)江戸の園芸熱
江戸の町では、朝顔・牡丹・菊などの「名品競べ」が流行し、菊はその代表格でした。
園芸書『花壇地錦抄』などには、
- 大輪を咲かせるための仕立て方
- 花弁の形を整える技法
- 珍しい品種の紹介
など・・・が丁寧に記録されており、当時の人々がどれほど菊に情熱を注いでいたかがうかがえます。
「より大きく、より美しく、より珍しい菊を咲かせたい」 という園芸熱が、町人の間にも広がっていきました。
2)明治:菊人形
明治時代になると、菊人形(きくにんぎょう)は大衆娯楽として大きく発展し、各地で菊人形を見せる興行が行われるようになりました
菊人形は、人物をかたどった人形に、菊の花や葉を衣装のようにあしらって人物や場面を表現するものです。
史料によると、
- 明治初期から中期にかけて全国の寺社・公園で菊人形展が開催
- 歴史上の人物、歌舞伎の名場面、武将、物語の名シーンなどを菊で再現
- 会場には数万人規模の観客が訪れた
といった記録が残っています。
特に有名なのが、
- 大阪・枚方の菊人形(明治期から大規模興行)
- 福島・二本松の菊人形(明治期から続く伝統)
これらは新聞にも取り上げられ、秋の一大イベントとして全国的な知名度を持つようになりました。
菊人形は単なる園芸ではなく、 「菊で作る舞台芸術」 とも言える存在で、当時の人々にとっては“見世物小屋”や“芝居”と並ぶ娯楽でした。
※明治期の枚方菊人形は「数万人の来場」と複数の新聞記事に記載され、二本松菊人形も戦前から「数万人規模」と記録が残されていますが、「毎年必ず数万人」ではなく、「特定の年の記録」になります。
<1-3> なぜ日本人は菊に熱中したのか?
- 菊は品種改良によって姿が大きく変わるため、育てる楽しみが大きかった
- 江戸の園芸文化が成熟し、町人が競い合う風潮があった
- 明治には娯楽産業が発達し、菊人形が大規模興行として成立した
- 菊には長寿・吉祥のイメージがあり、縁起の良い花として好まれた
こうした複数の要素が重なり、江戸〜明治の日本では菊が特別な文化的存在となりました。
<1-4> 食用菊
日本には現在でも、菊の花を食べる文化が残っています。
代表的なのが食用菊です。
黄色や紫色の花を料理に添えたり、花びらを摘んでおひたしや酢の物などに利用したりします。
特に山形県などでは食用菊の栽培が盛んで、地域の食文化として受け継がれています。
<1-5> 皇室「菊花紋章」
日本で菊が特別な花として扱われてきた背景には、皇室との結びつきもあります。
皇室を象徴する紋章として知られているのが、菊花紋章(きっかもんしょう)です。
特に、花弁を16枚持つ「十六八重表菊」は、天皇の紋章として広く知られています。
菊花紋章は、皇室の紋章として長い歴史を持ち、現在でも天皇・皇族に関係するさまざまな場面で見ることができます。
菊花紋章によって、菊は皇室を象徴する花として広く知られています。
ただし、現代の日本人にとって日常的に身近な菊は、仏壇や墓参り、葬儀などで目にする「仏花」としての姿でしょう。
【2】中国の中薬「菊花」
中国では、菊の花を乾燥させた「菊花(きくか)」が、古くから薬用植物として利用されてきました。
菊花には白菊、黄菊などさまざまなタイプがあり、産地や品種によっても特徴が異なります。
菊花は現在も中国伝統医学で用いられている中薬の一つで、中国薬典にも収載されています。
伝統的には、菊花には「疏散風熱(そさんふうねつ)」や「清肝明目(せいかんめいもく)」などの働きがあるとされ、風熱による頭痛や発熱、目の充血・かすみなどに用いられてきました。
また、熱を冷ます「清熱」や、炎症・腫れなどに関連する症状への利用も伝統的に行われています。
ただし、これはあくまで中医学における伝統的な薬効の考え方であり、現代医学でこれらの効能がそのまま治療効果として認められているという意味ではありません。
<2-1> 菊花はどうやって薬として使うのか?
中国伝統医学では、乾燥させた菊花を煎じて服用するほか、ほかの中薬と組み合わせて処方することがあります。
例えば、菊花は「風熱」を散らす目的で、薄荷や連翹などの中薬と組み合わせる処方に用いられます。
また、目の症状を目的とする場合には、枸杞子(クコの実)など、目との関係が深いとされる中薬と組み合わせて利用されることもあります。
このように、菊花は単独で利用されるだけでなく、他の生薬と組み合わせて処方全体の一部として使われる薬物でもあります。
現在でも中国では、菊花を原料とした中薬製品や、菊花を配合した製品などが流通しており、伝統的な利用が続いています。
<2-2> 菊花茶
乾燥した菊花に湯を注ぐと、花がゆっくりと開き、淡い香りと黄金色の水色が広がります。中国では古くから菊花茶が親しまれ、宋代の文献にもその利用が記録されています。
特に名産地として知られるのが、
- 安徽省・亳州(ぼうしゅう)の「亳菊」
- 浙江省・桐郷(とうきょう)の「杭白菊」
- 河南省・汝州(じょしゅう)の「汝菊」
などで、これらは中国三大名菊として評価され、薬用・茶用の両方で広く流通しています。
地域によって風味も異なり、杭白菊はすっきりした甘み、亳菊は香りが強く、汝菊は柔らかい味わいが特徴です。
現在でも中国では、日常の飲み物としてだけでなく、季節の養生や目の疲れをいたわる目的で菊花茶が広く飲まれています。
<2-3> 菊と長寿
日本で菊が長寿と結びついてきた背景には、中国文化があります。
中国では古くから菊が長寿の象徴として扱われ、重陽節とも深く関わってきました。
また、菊は中国文学や詩の世界でも重要な植物です。
その代表ともいえるのが、東晋の詩人・陶淵明です。
「採菊東籬下」という有名な句に象徴されるように、菊は自然の中で静かに暮らす姿や、世俗から距離を置く隠逸の精神とも結びつきました。
こうした文化が日本にも伝わり、日本独自の菊文化へと発展していきました。
【3】世界への広がり
東アジアで栽培・改良されてきた菊は、やがてヨーロッパへ伝わります。
菊が世界に広がった大きな理由の一つが、その圧倒的な品種の多さです。
花色、花形、大きさ、開花時期などにさまざまなバリエーションがあり、切り花にも鉢植えにも利用できます。
さらに栽培技術によって開花時期を調整したり、さまざまな形に仕立てたりすることもできます。
そのため、菊は世界各地の園芸文化に取り込まれていきました。
特に18世紀以降、ヨーロッパでは中国や日本から導入された菊が園芸植物として注目されるようになりました。
その後、ヨーロッパでも品種改良が進められ、菊は世界的な園芸植物へと発展していきます。
<3-1> ヨーロッパ|菊が「追悼の花」?
ヨーロッパの一部では菊が墓地や葬儀を連想させる花として知られています。
特にフランスやイタリアなどでは、菊は墓参りや死者を悼む場面で使われることが多いです。
フランスでは11月1日の「諸聖人の日(La Toussaint)」に墓参りをする習慣があり、この時期に菊を墓に供えることから、菊と死者を結びつけるイメージが定着しました。
<3-2>アメリカ|mums(マムズ)
アメリカでは、菊は英語で「chrysanthemum(クリサンセマム)」と呼ばれますが、日常会話では「mum(マム)」と呼ばれることも一般的です。複数形の「mums(マムズ)」という呼び方もよく使われます。
特にアメリカでは、菊は秋の園芸を彩る身近な植物の一つです。
秋になると、黄色、オレンジ、赤、白など、色とりどりの菊の鉢植えが園芸店やホームセンターなどに並びます。
庭や玄関先、ポーチなどに鉢植えのmumsを置き、秋らしい季節感を楽しむ人もいます。
日本でも秋になると菊花展が開かれますが、アメリカでは菊を鉢植えのまま庭や玄関先に飾るなど、秋のガーデニングを楽しむ植物として親しまれている点が特徴です。
◎アメリカでも菊は葬儀に使われる
アメリカでも菊は葬儀や追悼の場で使われる花です。
特に白い菊は、葬儀や追悼のフラワーアレンジメントに使われることがあります。
しかし、日本のように「菊といえば墓参りや仏花」というほど、アメリカ全体で菊と葬送文化が強く結びついているとは言いにくいでしょう。
アメリカの葬儀や追悼の場では、
- バラ
- ユリ
- カーネーション
- 菊
- グラジオラス
- その他の季節の花
など、さまざまな花が利用されます。
まとめ
菊は、追悼の花として世界で広く受け入れられ、東アジアでは長寿や吉祥の象徴として古くから親しまれてきました。その一方で、日本では園芸・儀礼・皇室文化と結びつき、他国とは異なる独自の発展を遂げています。
中国の薬用文化、ヨーロッパの追悼文化、アメリカのガーデニング文化など、菊が地域ごとに異なる役割を担ってきた背景には、人々が季節を感じ、生活を彩り、祈りや願いを託してきた長い歴史があります。 菊を知ることは、植物そのものだけでなく、世界の文化の多様性と人々の暮らしの知恵を読み解くことにつながるでしょう。
